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2020年6月25日木曜日

横須賀流ランチ

 最近本社にキッチンカーが来てくれるんですよ。




 こちら、火曜日はタコライスやグリーンカレー、水曜日はチキンオーバーライス。気のいいお兄さんとお姉さんがやってくれています。


 木曜日はチャーハンです。

 贔屓の仕出し弁当屋さんが5月末で辞めてしまったので、ランチに困っていたところ出店の提案が来まして、渡りに船と言いましょうか。本社は近所にコンビニも無いし、食事に行くと結構時間も掛かってしまうので、本当に助かっております。そして美味しいのです。もし横須賀で気になる方いらっしゃいましたら弊社までお越し頂けますと幸いです。そして雨天は出店していません。

おなつ。



2020年6月12日金曜日

自己責任論

 弊社、役員変更がありました。詳しくはwebで。

 という不親切な案内ですが、ま、いつも言いますがいつだって転機なんだなぁってしみじみ思います。今のままで良いっていうのは非成長の積み重ねですからね。当然何か努力をしている人との差はどんどん広がって行ってしまうもの。年齢ばかり重ねて行くことの恐怖をわたしも以前感じたものでしてね…つらつらしませんが、しみじみしてしまいます。

 そんな恐怖なんですが、どんな恐怖だったかと言いますと、一言で言うとあぐらをかく恐怖ということになるでしょうか。わたしは「コンサルに頼るくらいなら自力でやろう」と10年以上前からのスタンスを貫いているのですが、社内で何かやろうとしても全然だめで、何にしても通用しないわけです。勉強して何でも貫く槍を手に入れたつもりでも、何にも通さない盾の方が強いんですよね。多分組織ってそういうもので、動かぬ力に対抗する術がなかなか見つからないんです。で、結局何でも貫くコンサルとかお願いしたこともあるんですが、結局盾っていうのは得てして最強だったわけですね。わたしも盾サイドに付くべきだったと反省をしているのですが、そうすると一気に自分の積み上げてきた生き方とか信念みたいなものが否定されることになってしまうとわかって。もう押しても引いても無力な者は無力なんだなぁ…ってパジャマのまま外に出て川の流れを眺めるようになってしまったんです。
 そんな折に士(さむらいと読んでください)の方々と知り合ったりして「わたし無力なんすわぁ~」とか言っていたら、「もう少し脇を固めてはどうでしょうか」なんて話になって。つまりは「餅は餅屋」という事で、税務は税理士に、労務は社会保険労務士に、法律は弁護士、登記は司法書士や行政書士にと、頼れる士を近くにちゃんと置いて自分が困った時に助けて貰えるような環境を作る事と、社内は社内でちゃんと自分のやりたいことを理解して行動してくれる人を育てることが必要なんだと言う。
 実際、わたしが調べるより先に社労士の先生に質問を投げかけると、速攻且つめちゃくちゃ詳しく教えてくれたり、弁護士の先生に相談すると「こうなったらこう、こうしたいならこう、これがあるならこう、ないならこう、そもそも…」と、事細かく自分が考えていた以上の選択肢を提案して貰ったり(ちなみに揉めて無いです。単に相談しただけ)、あぁ、士の方々はこんなにも予想の斜め上を行く天才達だったのか…と己の小ささを知り、川を流れる鴨と夕焼けを眺め「わたしも鴨になりたい」など耽っていたりしたのです。

 その頃から、良かれと思って助言をくれた士たちの意見とは裏腹に、無力さに拍車を掛けてしまったわたしは「わかんなくなったら先生に聞けばいいや…」なんていう精神が芽生えてきていたのでしょう。

 どうせわたしの言う事なんて会社では弾かれ、わたし自身も弾かれ者になって、なんならいなくても先生たちがいればもう会社って安泰じゃん。なんて思ってた時期がありまして、もう完全にあぐらというよりもすねちゃって。でも、そんな時だったんでしょうか。ある先生から「で、運輸ってどうなの?」みたいに聞かれて。えっ、士は物流知らないの?って思って。「かくかくしかじかですよ」と答えると結構興味持ってくれるんですよね。慰められてたのかもしれない。そんなこんなで、ようやく士たちも万能ではないという事に気付くわけですね。更には「組織持ってないからわかんない」って言うんですよ。組織論なんてわたしの垂涎的分野ですから、そりゃもう熱弁が猛威を振るうわけです。
 あぁ、こんなわたしの知識も誰かの何かの役に立つんだ…と思えた時、少しだけ今まで学んだことの価値がキラっとして、少しだけ「もう少し頑張ってみよう」って思えた夏の午後。青々と繁った街路樹のどこかにいる蝉がわーわー言ってる最中、歩道を歩むカニを見て「腹が減った」と帰路に着いたのも今は昔。世界が少しだけ明るくなった一日。
 そんな士頼りのグレグレの日々から抜け出そうとした時分、身の回りが荒れに荒れていたこと、世の中のトレンドが以前から大きく変わっていたことにも気付き、わたしはあぐらをかいていたという恐怖に慄きました。
 しっかりとアンテナを張って、しっかりと周りのメンテナンスをして、しっかりと正しく学び、正しい選択をしていかなければいけない。例え全部が通用しなくても、わたしが腐ってしまうと周りも傷んでしまう。腐ったわたしを見てみんな面白くもないし、というかわたしが腐っているのを見て「こんなくそだらけた大人になりたいぜ」なんて思って貰いたくないと思って、なんとか一念発起、ちゃんとしたおじさんになろうという努力を再開しました。

 知らない間に、いつもいつだって社会は回っていて、変化していて、事実まったく同じような日々っていうのは絶対に続かないのです。その続かない日々のどの時点にいるかは全く誰もわからないのだけども、できればいつ終点が来てもそこそこ柔軟なスタンスを取れるように自分を、そして会社を変えられるようになってなければいけないと思っています。
 話を戻しますが、人生と言うのは全くわからないもの。頼る力や頼る相手は必要だけれども、突き抜けていく力は自分で養うしかないのです。何かを何かの言い訳にして自分を無力化して、他人に頼るだけになってしまい、あぐらをかいて自分磨きを忘れた人間はどんどん価値が薄れていく。ということです。
 通用しないこともあります。思い通りになんて人生行かないものです。でも、なりたい自分だったり、望むべき環境があるのであれば、それは誰かが何かしてくれるものでは無いし、結局自分自身で叶える努力をするしかないのです。

 よくよく考えるといつもと言っていることが同じですね…

 ただ、逆を返すとそれだけ自己変革や成長への意志を持たない人が嫌いなのかもしれません。当然人を騙す人、嘘をつく人も嫌いですし、理不尽、傍若無人、自己中そういう人も嫌いですが。
 人間は平等に生まれ、差が生まれるとしたら勉強したかどうかである(勝手に超略福沢諭吉)。まさにこれに尽きるんです。なりたい自分、追い駆け続けようZE☆
 というなら、やっぱり自分自身からしかないんだよね。あとこれ。
「社内は社内でちゃんと自分のやりたいことを理解して行動してくれる人を育てることが必要」
 多くは語りませんが、実際はこういう人もいてくれて。本当に救われている。そう考えると、良い事ばかりの人生では全っ然無いけど、まぁ、報われているのかもしれないね。本当に感謝しながら生きて行こう。そして、みんなのNo.2になれるように頑張ろう。

おなつ。

2020年5月28日木曜日

つらつらと19

 つらつらシリーズも19話になりますか。このコロナ禍にて緊急事態宣言が発せられた後、4回ほど記事を書こうとしたのですが全て下書きに終わってしまいました。それぞれテーマを持って、それこそ『おなつ論』というカオスな記事まで書きかけていたのですが、どうにも根底にある世相の不安に引っ張られてしまう記事となった為、お蔵に入って貰う事にしました。

 そんな右往左往した時こそ、つらつらと適当に書くのが一番かなと思いまして。

 で、何を書こうとして席に着いたか忘れちゃったな…

 メインテーマを忘れてしまいましたので、最近のわたしについて話をしようかと思います。最近はですね、様々な会議会合打ち合わせが中止またはweb化されまして、この2ヶ月はほとんど会社⇒スーパー⇒家のようなサイクルで出没しておりました。4月からは割と頻繁にweb会議が開催されるようになったもので、完全にひきこもり体質に拍車が掛かってしまった感が否めません。しかし、昨年同時期に「パラダイムシフト」とは違う変化について記事を書いていたことに対し、本格的なパラダイムシフトが起きてしまった事をリアルタイムで体験する貴重な時期を過ごしているとも言えるかもしれません。
 パラダイムシフトは、物事の価値観の転換期のようなものと解釈しておりますが、この時期非常に厳しいわたしたち物流のような業界を尻目に、この変化を見逃さず新たな価値創造へ踏み出した企業や個人が沢山いるのではないでしょうか。飲食店も、ランチやデリバリー対応をしていなかったお店もこれを機にお持ち帰りを定番化させ、お店では食べれないけど自宅で楽しめる=客単価減少と回転率の上昇へと踏み切った店舗も多いようです。これは工夫程度の話かもしれませんが、「やった方がいいのに何かにつけてやらない言い訳をしていた」という事業を、これを機に実行できたという事だと思います。
 新たな価値創造というと小難しそうですが、実は身近にヒントがあったのです。わたし個人としても、この夏島運輸を使って今までにないサービスを考えていたり、自社の価値をどうやって上げていくか色々考える時間が出来たので、ひと段落したら実行に移して行こうかと思います。

 話を戻しますと、最近のわたしですね。外出が無いものですから色々と捗っております。以前より本社倉庫に筋トレグッズを共用で設置しているのですが、最近は営業部と共に筋トレを頻繁に行っています。昨年来、心と体の健康についてよく発信しておりましたが、腰痛なんかの問題でフェードアウトしていきつつの矢先、このタイミングで完全復活致しました。
 お昼ご飯の後、大体腹筋ローラー限界、たまに腕立て、バーピー(HIIT)、フレスコボールのルーティーンですかね。食べちゃうので全然痩せたりしませんが、結構良い感じに疲れます。

 あと、プログラミングを習得しました。兄貴の得意分野であり、自分にとっては謎多きジャンルだったのですが、21世紀の今日この頃でプログラミング言語がわからないというのは弱点だと思ったことに加え、身に付ければ武器になると考えたからです。
 わたしのこういう考え方は若い頃一緒に仕事をした真崎修さんの影響かもしません。作曲やプロデュースをしていた真崎さんも2000年代に入ると周りのエンジニアがPro Toolsという機械でレコーディングを行うようになって、「エンジニアが何やってるのか全然わからない」「それじゃプロとして仕事が成立しない」という事で、専門分野では無いにしろPro Toolsを学んだとの事。当時のわたし達は「曲も作れて人柄もよく、努力家でイケメン」という事でよく裏でハンカチを噛んだものです。ともあれ、真崎さんのご自宅で聞いたそんな些細な会話から「俺にゃあそんな真似出来ねぇ…」と思っていたものの、当時も何だかんだとNuendoというレコーディングソフト(DAW)を使って仕事が出来るようになったのも今は懐かしい思い出です。終わり。
 ではなくて。そんな真崎さんの考え方に影響されて、この先生きのこる為に意味の分からない本を何冊も読んで、基本も何もわかっちゃいないけど2つほどプログラミングで作品が出来ました(Excel等でもそうですが、やたら複雑な構造をした便利ツールが完成した時、勝手に作品と呼ぶことにしています)。人間やれば出来るものだっていうのを体現出来たことは素直に嬉しかったし、基本的に「みんなができることは自分にもできる」「みんなができることはそれほど複雑ではない」という考えがあって、やってみないと分からない難しさは当然あるのですが、意地と力技を使うと意外と本当に何とかなってしまうものだというのも実感致しました。

 できましたよ自慢をしたい訳ではないのですが、これらは飽くまで手法であって、自分の目的や目標を達成させるために必要なスキルと思ったので、言ってしまえばその為だけに得る必要があったということです。
 例えば筋トレにより成人病リスクを下げることができれば長生きできる確率が上がるかもしれない。死生観そのものは儚いものでありますが、自分の効能を最大限に活かすにはまず生きることが最優先になります。「お金が大事だ」という人もいらっしゃいますが、お金を稼いでも死んでしまえば墓場まで持って行けないし、お金を稼ぐことの先にあるものを考える方がわたしにとっては合理的且つ目的に沿うものだと考えています。ややこしいですが、わたしにとって健康というものが必要になったので、死ぬほど嫌いだけど筋トレを本格化したわけですね。
 次にプログラミングについてですが、これはコロナ云々の前、年当初くらいから考えていたもので、わたしの持つスキルやアイデアを如何にして会社に広く浸透させるか、または価値に替えるかと考えた時、一番合理的であり一番難易度が高いと思ったのがプログラミングだったというだけです。ちなみにこれらの手法はあと2つあるのですが、そちらは後輩に任せるとして、ひとまずわたしが先陣を切ったというだけの話になります。ざっくり言うと「他の2つは他の社員がやってくれそうだけど、プログラミングだけは絶対やってくれなそう」だから。多分他2つも学べば出来るし、学ばなければ出来ないだけのことなのです。当然わたしが会社でやるべき業務は別にありますし、ここに携わり続ける訳にも行かないのですが、いくつかのマイルストーンを置いていく必要はあるし、延いては社内の人の考えるヒントとなって貰えると学んだ甲斐があったともいつか言えるのではないかと思います。

なげぇ。

 いつだったか「時流適応」と船井総研から学びました。前職で言う「流行り廃り」とも違いますが、物の価値が日に日に変わっているのに、停滞してしまうと価値が無くなってしまうという考え方はひきこもりの癖にやたらフィットしました。時代が変わっているのに、自分が変わらないと気付いた時、それが停滞だと思います。人間は停滞して進歩してきた生き物ではありませんし、誰もかれもがそれを意識して生きている訳ではないのにも関わらず、それに適応できている人とできていない人とに分かれてしまう。わたしはその様を見ているのが悔しいのです。
 みんな今のままでいたい。楽な方に流されたい。しかし本当に楽になるのは時代に合わせて成長することなのです。お金だってタンスや銀行に預けていたら価値は下がって行きますが(インフレ率によります)、正しい投資を行う事によって価値を失わず更にお金を稼いできてくれます。自分自身も同じなのです。正しい時間とお金を遣って、自分を時代に調整させることにより、本来の自分のポテンシャルを最大限に活かすことができるのです。良いですか。今のままでいるということはどんどん価値が下がっているということなのです。

 だから、投資を始めよう!!!

 ではなくて。

 こんなコロナ禍で当社も結構な影響があちこち出ている最中ではありますが、指を咥えて見ているのが取締役ではいけません。わたしたちが率先して、見えない部分かもしれないけれども未来へ続くか細い道を作る事が仕事だと認識しています。今やらなければ一生後悔することが出るかもしれません。それが後に役に立てば御の字ですが、やっていなかった事を悔いるにも「何に」がわかっていないと多分一生気付かないような気がするのです。それを人のせいにしてはいけないし、自分事にするのが仕事ですので、こんなコロナ禍の危機的状況でも唯一共通の財産である時間をわたしにもたらした事はとても大きな意味があったように思います。
 わたしにとっては小さな一歩。これが夏島運輸の大いなる飛躍になる事を願いつつ、わたしは頑張ります。
 書きかけてやめた『おなつ論』ではありませんが、『コロナ禍で得たわたし論』ということでこの駄文を締めたいと思います。ではまた、つらつらと。

おなつ。

2020年4月3日金曜日

新年度

 このブログを始めて7度目の新年度です。令和2年度はコロナウイルスの影響下、近年稀にみる混沌の最中始まりました。文化文明が物凄い勢いで進歩していく時代、ウイルスという意味の分からないタンパク質により、人の命が失われるというのも、皮肉じみた混沌な気がします。

 ブログも7年。おなつも7歳年を取ったわけですが、近年ようやく部下が出来た兼ね合いで自分のやってきたことや、やりたかったこと、考えてきたことを棚卸する機会ってのがあり、振り返ると色んな事がありました。
 ま、そんな思い出を振り返る事を書くつもりは無いのですが、やはり思うのは以前の方が努力をしていて、顕示欲や葛藤が多かったように感じます。今でもきっと同じことを思っているのだけど、時代が変わってしまったことにより、環境が変わったり人が変わったりして、選ぶ手法も変わって来たかなと。
 ただ、明確に思うのは「若いから」「経験が足りないから」という理由で通用しなかったこと、その他諸々の理由で通用しなかったことも多くあって、結局組織っていうのは変化を嫌う集団なんだって、苦い思い出が今のわたしの諦観じみた発想の根源にあるのだと思います。

 わたしは、取締役という任を頂いた時「取締役が何かは自分で学べ」「何を学ぶかも自分で調べろ」と言われたもので、本当に0から自分の足と時間とお金を遣って「多分良き事」「多分正解」みたいなものを漁り、いつの日か「こうでなければならない」という概念を持つようになった気がします。でも、途中で「こうでなければならない」ということも極僅かで、「そうでなければならないことに、こだわってはいけない」ことの方が多いことに気付きました。前職でも経験していたのですが、意味の分からないプライドやこだわりは足かせになるということ。固定観念や自分勝手な常識が時として邪魔なものであるという事を改めて体感したとでも言いましょうか。そして、曖昧な「多分」が「確信」に変わった時、自分自身の意志が弱ければ出来ないし、きっと確固たる意志があれば、出来なかったことが出来たのではないかとも思うわけです。
 最近の若い経営者はその点凄いと思います。十把一絡げにしてしまうと乱暴ですが、20代や30代前半の方でも「経験はない。だけどやる」「できないと思うから出来ない」そして「そういう人間を起用しない」とまで言う人がいる。先が長いからこそ、先を見据えているからこそ、今弊害を持たぬという考えなのか、このブルドーザーみたいな生き方をしている若者を見ると本当に尊敬してしまう。実際クラシルの社長、堀江氏はわたしから見て相当に年が下であるにも関わらず、物凄いカリスマを感じたりもします。

 さて、そんなネガティブおじさんになってしまったわたしですが、つまりの所、色々なことを言い訳にして、結局出来なかったことを何かのせいにして生きていた部分があったという事を認めなければいけません。改めて座右の銘を【明珠在掌】に変更した時期も、いよいよ色々仕上がっていた頃ではありましたが、何事に対しても、出来ない理由を他人に預けてはいけないと気付いた時でした。そして、全て自分のせいにした時、改めて自分に足りないものが明確になり、更に高い壁を登る準備が出来るということもわかりました。

 長くなりましたが、そんなわけで令和2年度。今までにない苦難を乗り越えることから始まりますが、全ての可能性と毛穴を広げ切る覚悟を持って会社に未来を提供したいと思います。これまで、様々な思い付きや勢いでやってきたこともありましたし、やりたかったこともありましたが、それらも熟成を経て目標となり、計画に落とし、実行される時期が来たように思います。無駄を削ぎ落し、理念に基づく思考と行動。全てを実現可能なレベルまでこの一年間で運んでいきたいと思います。
 この7年間で学んだ経営に関する事項は、年を経ると変わるというような代物ではありませんでした。きっと7年前実力不足で出来なかったとしても、見据える未来が同じである以上進む道は同じです。万難を排し、令和2年度が社員のみんなと取引先様皆様にとって価値のある時間、価値のある仕事を提供していきたいと思います。
 
 と、インターネットの海に流した以上、粉にした身を原子レベルまで分解されるくらい悔いの残らない時間を自分自身過ごしたいって思います。
 今はコロナのせいで自身の生命すら不安になる時期かもしれませんが、これをなんとか乗り越えられるよう精一杯の努力をし、その先にある明るい未来図を共有できるように努めます。と、わたしの中のおなつが言ってます。

おなつ。

2020年3月11日水曜日

【社内向】新型コロナウイルス感染に関する注意喚起及び対処方法について【お知らせ】

 令和元年12月以降、中国湖北省武漢市を中心に新型コロナウイルス感染症の発生が複数報告されて以来、世界各地で患者発生報告が続いています。感染を防ぐためには、「こまめな手洗い」「手指のアルコール消毒」咳やくしゃみの症状がある人は「咳エチケット」といった、基本的な予防対策が有効です。
 以下のとおり新型コロナウイルスに関して注意喚起いたしますので、健康管理に努めてください。


・毎日、出社前(起床時)に体温を計測してください。
37.5度以上の発熱及び咳などの呼吸器症状、強いだるさ(倦怠感)等の症状が認められた場合は出社せずに、営業所の担当者に電話連絡し指示を受けて下さい。
新型コロナウイルスへの感染が疑われる場合は、最寄りの保健所などに設置される「帰国者・接触者相談センター」にお問い合わせの上、同センターより勧められた医療機関を受診してください。複数の医療機関を受診することは控えてください。
受診の結果、新型コロナウイルスに感染した場合には、医師の指示に従うと共に速やかに電話で会社に連絡し、指示を受けてください。

・新型コロナウイルスに感染しないようにするために
まずは、一般的な感染症対策や健康管理を心がけてください。
具体的には、石けんによる手洗いや手指消毒用アルコールによる消毒などを行い、できる限り混雑した場所を避けてください。また、十分な睡眠をとっていただくことも重要です。また、人込みの多い場所は避けてください。屋内でお互いの距離が十分に確保できない状況で一定時間を過ごすときはご注意下さい。

(1)手洗い
 ドアノブや電車のつり革など様々なものに触れることにより、自分の手にもウイルスが付着している可能性があります。外出先からの帰宅時や調理の前後、食事前などこまめに手を洗います。
(2)普段の健康管理
 普段から、十分な睡眠とバランスのよい食事を心がけ、免疫力を高めておきます。
(3)適度な湿度を保つ
 空気が乾燥すると、のどの粘膜の防御機能が低下します。乾燥しやすい室内では加湿器などを使って、適切な湿度(50~60%)を保ちます。

・ほかの人にうつさないために
<咳エチケット> ※感染予防のために各自マスクを用意してください。
  咳エチケットとは、感染症を他者に感染させないために、咳・くしゃみをする際、マスクやティッシュ・ハンカチ、袖、肘の内側などを使って、口や鼻をおさえることです。
  対面で人と人との距離が近い接触(互いに手を伸ばしたら届く距離でおよそ2mとされています)が、一定時間以上、多くの人々との間で交わされる環境は、リスクが高いです。感染しやすい環境に行くことを避け、手洗い、咳エチケットを徹底しましょう。高齢者や喘息などの持病を持っている方、妊娠中の方などは、特に感染に対しての予防を心がけてください。
以上

2020年2月27日木曜日

不透明

 新型コロナウイルスの猛威が止まりませんね。ニュースで目にするような話をここでしても致し方無いのですが、様々なイベントがキャンセルとなり、世界的な株価急落にまで発展してしまいました。2月初頭まではそれとなく「ふわっと収束するだろう」程度に思っていたのですが、非常に甘い判断だったと今更思います。運送事業に於いても貨物量が減ってしまいましたし、大勢の集まる場も閑散とするようになってしまいましたね。

 災害などでもそうなのですが、不安が一つに収まらないのって本当に嫌ですね。今回の件で言えば、コロナウイルス発症の不安(生命の危機感)と、経済的不況が目下という所でしょうか。前者については外出を控えることや、不特定多数の集まる場に行かない等の対策が講じられているようですが、電車等の交通機関を使用しないといけない場合はどうしようも無いですし、外出を控えることで結局経済的には鈍化するでしょう。後者については港湾等も由来すると思いますが、当然旅客サービス全般も厳しくなり、消費も減って行くと思うので、企業の収益も悪化し、結果給与所得の減に繋がってしまったり…すると益々消費は鈍くなりますものね。前者であるコロナウイルスが原因かと断定することは出来ませんが、結果的に経済が不調に陥ったとするならば、コロナウイルスが収束するまで経済は戻らないという事。何もすることはできませんが、ただただ早く地球が平和になることを願うばかりです。ノーモア アウトブレイクでございます。

 さて、そんな折ですが、先般協同組合の会議の後に先輩後輩とちょっと立ち話をしていたのですが、「やっぱりこんな状況でもぶれない底力(又は付加価値)が必要だよね」という話題になり。概ねその時いたメンバーは「んだんだ」って賛同もしますが、「実はこんなネタあるんだけどね」っていうのを隠しているように感じました。なんていうか、瞳の奥に怪しい光を見たと言いますか。でも、そうなんですよね。圧倒的な営業力なのか、合理化による利益率なのか、信頼による集客力なのか、発想力による展開なのか、何でも良いのですが他社にない強みというのが企業には必要で、それが魅力であり、生存戦略になり得るものだと思います。
 わたしもここ10年くらいですが、「生き残る企業ではなく、勝ち残る企業となる」をスローガンに色んな事を考え、学び、実践、失敗、そして怒られて参りましたが、ここに来てようやく自分らしくもあり、夏島運輸らしい戦略を生み出せた気がします。内容はまだ内緒ですが、今から色々種を蒔いて、少しずつ成果が出るように挑戦していきたいと思います。逆境をチャンスに変える力が今は大事ですね。

 そして、ちょっと前に買った色んな株式とS&P500のファンドが暴落しておりますが、ほんと、こっちの方も早くなんとか回復して欲しいものです。余談ですがSBIネオモバイル証券は1株から購入出来てしかもTポイントで投資が出来るので面白いですよ。毎日下がり続ける株を1株ずつTポイントで買っているのですが、手数料も実質無料ですし、激安でポートフォリオも作れちゃう。今やることではありませんが、まだご存じない方がいらっしゃいましたら是非試してみてください。投資初心者の方でも気軽に株を楽しめますよ(NISAやiDeCoには対応しておりませんが)。

おなつ。

2020年1月28日火曜日

はまる

 今年に入って、本気で楽しめる何かがあると良いよね、趣味で。という記事を書いたのですが、ひょんなことからそれっぽいものが見つかりまして。きっとリコーダーの次に世界中で弾ける人の多い楽器、ギターなんですけどね。ま、昔ちょっとやっていたんですが、最近その比じゃなく楽しいと言いますか。

 昨年か、友達に貸していたアコースティックギターを返して貰って、なーんとなく昔の楽譜を引っ張り出してちょっと弾いていたら結構難易度の高い曲が弾けるようになったんです。そして、年が明けてからマンネリしてきたので「新しい曲でも覚えるかね」という気分になり、バッハのひとつやふたつ、やったろうかと。アコースティックギターでクラシックやるのって微妙なんだけど、やっぱりギターの音やら弾き方にこだわると面白くて。昔やっていた頃とは違う着眼点というか、気付きがあるというか。
 家にいる時今までは料理だとか読書とかに使っていた時間が、割と多めに楽器に行くようになったと言う程度なんですけどね。次弾きたい曲とか出来ちゃって。

 今年は登山とかキャンプとかアウトドアな趣味が出来ることを願っていたところ、まさかインドアな趣味が増えると思っていませんでしたが、これで少しプライベートに張りが出ました。当然仕事のスキルアップや会社の事を優先しての趣味ですが、ガス抜きだって大切なものだと思います。度が過ぎるということは無いと思いますが、ほどほどに新たな趣味を楽しみたいと思います。

おなつ。

2020年1月22日水曜日

経年劣化

 何かを書こうと思ったわけではないのですが。年末年始に掛けての変化というか、寄る年波には敵わないとつくづく実感したというか。前回、年末年始体調がちょっと変な方向に行ったと記載しましたが、あれからずっとっちゃずっとなんですよね。まず挙げると

①お酒を飲みたいと思わなくなった
②疲れが取れなくなった(回復が遅くなった?)
③四十肩になった

のみっつでしょうか。①については多分②が尾を引いているような気がするのですが、延いては胃腸が弱くなった感じもするのです。運送会社にいながら、毎晩晩酌をするというのは気が引ける行為であると共に、年齢が年齢ですから「アル中ってどこから…?」なんて心配があったのですが、何のことはない、体が元気だったということです。以前は3日くらいの暴飲暴食からの胃腸炎も一晩で治るくらいの勢いでしたが、今はじんわり3日間ばっちりお腹痛いです。

 そもそもなのですが、わたしは体調を食事で整えるべく、様々な食事方法を学び実践し、今でもやたらと栄養素に詳しいわけですが、かと言ってバランスを取り続けられるような器用なタイプでも無いわけです。体に良いものをバランスよく食べ続けることで一時本当に素早さ+5くらいのパフォーマンスを出せたこともあるのですが、どうにも反動が来てしまうわけです。
 本当はお昼にお蕎麦を食べたいのですが、最近横須賀で昼食を取る場合、フレスコボールやりたいので、お弁当をささっと食べてすぐに動き出すんです。飯のクオリティよりもスポーツを優先させているわけですね。あと、お菓子とラーメン好きすぎるんです。そこは意志の弱さというか付き合いの良さというかごにょごにょした言い訳が様々ある訳ですが。

 さて、食べたものが体を作るという概念から体に良いものをちゃんと食べようって思うのですが、食べたいものを食べたいという欲求が強くなり過ぎてしまった結果、やはり補給過多になることは否めません。パレオダイエットも良いなぁ~って思いましたが、一生それを続けることは出来ませんし、糖質制限すると低血糖症になってしまいますし、やはり好きなものを好きなだけ食べつつ健康を維持したいですよね。そう考えるとやはり運動しかありませんね。腰痛早く治して運動すべきですね。
 昨年、健康の為にって思うと色んな挑戦が出来たのですが、腰痛をきっかけにまた色んな問題が出て来てしまってってだめですね。もっとちゃんとしなきゃ。無理なくきちんとまたちゃんと整えて挑戦していきます。

 今年はいよいよ進歩から進化へ向かう予定ですので。追い込まず無理なく頑張ります。

おなつ。

2020年1月7日火曜日

令和2年初つらつらと⑱

 前回の記事にて、「体調に気を付けて~」とか言いつつ年末体調が変な方向に行ってしまったおなつです。元気があれば何でもできるとはよく言ったものですね。元気が無ければできることもできなくなりますから。
 経て、本年もよろしくお願い致します。あっと言う間に終わった令和元年ですが、皆様にとってどんな一年になったでしょうか。わたしにとってはですね、どうなんでしょう。色々と挑戦したな、とか、これ頑張ったな、とか、あるんですけど、こう、ガッっと来たという程では無かったですね。
 最近指摘を受けるのですが、「色々やり過ぎ」論が濃厚な気がします。「色々やり過ぎ」というのには2つ意味があるそうで、「色々」には「あれもこれも」と、「やり過ぎ」には「度が過ぎる」という意味だそうで、「あっちこっち手を出し過ぎ」と「あれもこれも度が過ぎる」という事でガッっと来ないんでしょうね。一個にしておけばいいのに。とかね。人生一度きりだから色々本気でやりたいじゃないですか。まぁいいや。今年はもう少し自分を大事にして生きて行きたいと思います。

 一個にしておけば。というとなのですが、2019年11月にMBAで有名なグロービスの方から「100人カイギに出ませんか?」というお誘いを受け、「なんじゃそりゃ」と思ったものの参加してみたんですよ。その頃くらいか、同世代や先輩世代の方々のスピーチを聴いている時に「みんなまっしぐらだなぁ」なんて思ったんですよ。これが、わたしにとっては凄いことで。
 仕事を一所懸命にやるのは当然だとして、それ以外も含めてみんな「これだ」というものがあって、それに打ち込んでいるんですよね。サラリーマンながらにパデルというスポーツを日本に知らしめる活動と(何故だったか)BBQを企画することに命を賭ける人、現在手に職が有りつつもフレスコボールに全身全霊を賭ける人、当然音楽に命を燃やす人や絵画に生涯を捧げる人もいるわけです。これが凄く羨ましいのです。
 色々語弊が生まれそうですが、忌憚なく言うと「本職はさておき本気で楽しめる何かがあると良いよね」って思ったりします。わたしにはそれが無いのです。と書くと想像以上に語弊がありますが…一言で言うと、これという趣味が無いということでしょうか。その方がライトで良いですね。そうしましょう。

 趣味って難しいんですよ。わたしは多趣味~って言われる方ですが、打ち込んでないんです。適当に料理を楽しみ、適当に本を読み、適当に勉強をして、適当にHIITやらランニングして、適当にファッションに拘ってみる。時にはボルダリングやるし、気が向いたらフレスコボールやるし、その気になればブログも書くけどTwitterだってやる。ドライブだって自転車だって好きだけど、それ以上に散歩も好きだし写真好きだし最近はギターだって弾く。裏千家中級も取らせて頂けたことも有り緑茶、紅茶、白茶、ルイボス、マテその他諸々のお茶にも精通したけど、全部「これだ」という程でも打ち込んでいるというレベルではないんだよなぁ。何かそれが寂しいんです。

 毎度の事ながら長くなりましたがまだ中腹です。2019年を振り返ると「未熟な自分に気付いた」というか「これで良いと思っていた自分」が壊れた一年間だったように思います。
 2020年、新たな年には「未だかつて無い何か」に出会えることを願いつつ(敢えて仕事にとは書きませんが、それは流儀なものでして)、本年からわたしの座右の銘を『明歴々露堂々』から『明珠在掌』に変更致します。若者たちにとっても必要な考えだと思いますが、中年というか今年末から初老になるわたしにとっても大事になる概念だと考えています。

「みょうじゅたなごころにあり」

 祖母が裏千家茶道の先生で、弟子入りして学ばせて戴いた中で出会った禅の言葉の中でも、今自分にしっくりくるのはこれかなと思います。
 自信の無かった20代~30代は明歴々露堂々。「良いんだよそのままで」。から、これからは「自分自身の可能性は自分自身が持っている(掌にある)」という事を掲げて生きていきます。昨年相模原営業所に行った際に一番言った事かもしれないんだけど、「出来る出来ないではなくて、どうやって実現させるか。不可能性よりも可能性を探そうよ」的な話。出来ないとかやりたく無いみたいな否定的な話よりも、どうやったら出来るのかと、前向きな姿勢で生きていくことの方がきっと可能性広がるでしょう。

 思えば、わたしは20代の頃がそうでした。「お前には無理だよ」とか「それは役に立たないよ」とか散々言われて来たけど、出来たことって沢山あるんです。若かったから無理が出来たとも言えるし、親に感謝…という脛の問題もあるのですが、「無理」は出来た。「役に立たないよ」は役に立った。社会人になってからはそれがコンプレックスになる事もあったからこその明歴々露堂々。10年以上そう生きたからこそ、次は元に戻ろう、また可能性を信じよう。という感じでしょうかね。若いからできたではなく、中年でも出来る。です。

 まぁね、アラサーからのアラフォーだの言いますが、いつまで経っても時代の最先端にいるのは今生きている自分なわけです。数年前の自分を甘いと思う事、十年前の自分を甘いと思う事もある。勝手に老婆心を持つのは勝手だけれども、過去がだめだったと否定する必要もないし、過去は凄かったと褒める必要も無いのですが、自分と向き合うことは大事と思います。40歳だから20歳が馬鹿だと思うとか、60歳だから40歳がガキに見えるとか、物理的に縮まらない誰かの何かに合わせることよりも、自分自身の成長と、未来にあるビジョンとの差をどう見るのかが大事なんじゃないかなーって思うのですよねぇ。だって60歳の目線で自分って見れないじゃないですか。20歳目線で見るとおっさんですし。
 わたしは2012年~2015年までに会議に出した資料とか見ると今より頭が良さそうなんです。2019年、営業に見せた資料とか見ると、今のわたしが見ても理解に時間が掛かる。本当によく考えられていて、今のわたしではここまで分析も出来ないし、深く考えようともしないように思うんです。過去を褒める必要も無いと言いつつですが、何でかわからないのだけど、一昔前までの自分を超えられなくなってしまったのです。
 これがきっと「色々やり過ぎ」の弊害なんだと思うのです。必死にやっていた事とそうでない事の差というのでしょうか。それが明確になったというのでしょうね。え、何この話。墓穴なんですけど。あぁ、まぁ、語弊ということで(時に。あぁ、まぁ、って凄い含蓄ある語間ですね。便利。)。今も必死ですが、そう見えないようにはしています。それにしても過去の資料は我ながら頭がおかしい。

 やばい2時になっちゃう。まぁ、新年なので本音もちらつかせて締めましょう。そんなこんなしていた2019年、わたしにも部下が2人も増えました。彼らの成長と可能性を開花させること、延いては社員全ての明珠を開くことがわたしの使命であると気付きました。あとはわたし自身の問題ということです。わたし自身どうなりたいんでしょうね。人の事ばかり考えていて、わたしの事がわからなくなってしまったようです。使命は良いのですがわたしはどうなりたいのか、何をしたいのか。まっしぐらに生きていれば良いのか、それでいいのか、それはあんまりじゃないか、なのかどうなのか。向き合う必要があるかもなぁ残りの50年生きる上では。
 って言った時にやっぱり文章を書くことが好きだって思うんですよ。上手いとか下手とかじゃなくて、趣味としてはね。多分もしかしたら一生文章を打って生きて行けるような気がする。素面の時とそうでない時とでの荒ぶれ方は違うけど、何だかんだ一番しょうもない部分の脳みそ使ってる。それが一番楽しいような気がする。全てが曖昧なんだけど。そんな新年、こんなおなつと夏島運輸をよろしくお願い致します(おざなり)。

おなつ。