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2019年5月4日土曜日

つらつらと16

 最近社員に「ブログを見てー」って言って、わたしが追いつけなくなったので読んで見ると…この「つらつらと」という一番力を入れていたはずのシリーズ、2014年までに11まで書かれていたことに衝撃を受けたわけです。で、あの頃の自分に葛藤があったんだなーってのはよくわかるのですけど、それ以上に、今のわたしより色々考えて勉強してるなぁって感じたんですよね。わたし今あんな文章書けないもん。5年前の自分すげぇって思った。けど、外圧に耐えかねて前回の記事とは違う、自分にはできない何かを言い訳にしてるなってのも同時に感じたんです。
 これは反面教師になるのかなって思うのだけど、「無理かも」っていうのを「なにくそ」にも変えず、「自分が正しかったと目にもの見せてやる」という気概も無く、なんとなくブログから遠ざかる、そしてそこに使っていた時間を別な事に使うことで逃げたんだなってこと。それによって、ブログ開始当初大事にしていたことを忘れ、スキルも鈍り今に至った結果っていうことなんだなって感じます。実際「ブログ書く暇あったら仕事しなきゃ」っていう時期もありましたがね。言い訳ですが。

 ま、そんなこんなではありますけれども。ブログを始めた2013年から読み返してみるとわたしがいかに文章が好きか、会社が好きかって伝わりました。「つらつらと」なんてタイトルも、これはきっと「何を書くとか決めてないけど書こう」っていうようなもんで着けたタイトルなんだったと思いますしね。日々の細かい仕事の中で唯一のカタルシスだったのだと思います。

 こうして、長期連休(会社に行かずとも仕事はしております…)であるからこそ、こうやって落ち着いて記事を書けるようになってちょっと楽しいのですが、なんていうかな、わたしとしてはこういう所に書いている気持ちが社員に伝わってくれることが何よりの望みかもしれません。それはわたしから伝えたいことが本当にたくさんあって、それを理解して貰えれば色んな課題がクリアできると思っているからです。
 直接話をすれば早いんですけど。

 2019年、年度としては平成31年度ですが、6周目を回るこのブログは、当初の通り社内報であれるようにもうちょっと頑張ります。

 経て。ここまではちょっと感慨深くもあり、我ながら自画自賛があったという報告なのだけれども。
 今、間違いなく時代の変わり目が来ていると考えているんです。前回の記事にあったような働き方改革もそうですし、この人材不足の深刻化や燃料代の高騰なんかもそうですが。今、潮目として「最高のバブル」と捉えている会社も少なくないと思います。きちんとそれに乗れるか否かっていうのが実力または底力の違いっていう所に出て来ていると思うんですよね。物の価値感が変わる「パラダイムシフト」とはまた違う、それを起こすための強制的な力が働いて、しなければならないという環境を強いられるようになりました。なるほど、これが改革かって思います。
 通常、企業では時流に合わせて少しずつ変化をしていれば改革など不要なはずなのですが、今回は強制的な改革が行われたということです。改革というのは必ず痛みを伴うものだと解釈しております。つまり、政府筋ではこの動きが乱暴であるという自覚があるはずだと思うのです。でもやった。それは何故か。今、それがわからないから葛藤しているのですが…
 この先2036年問題や、2046年起こるとされるシンギュラリティを待たずして起こる改革。その前に正すべき問題が数多にあるはずなのに、それを度外視した政策であるとわたしは思う。
 物流は物的流通であり、災害時などには最重要な機能を果たすべきインフラなのにも関わらず、わたしたちの運輸業界がなぜ不遇(でない所もありますが)なのかも推して計ることもせずにこうしたのか。わたしが言っていることは自社のことではありません。業界として「人材不足で運べない」とか、「長距離輸送に対する緩和措置が無い」という業界全体のことに対する意見であります。まぁ言ってもしょうがないんだけど。
 いつか人にとって代わって自動運転が。って思っているかもしれないけど、うちは運ぶだけが仕事ではないんです。運ぶ価値を作って、それで社員を養っていかなければならない、そこまでが仕事なのに。すごく安く見られている気がします。
 まぁいいや。これって誰に相談すればいいんだろ。とりあえず行きつけの歯医者さんに聞いてみよう。

おなつ。


2019年5月2日木曜日

長いGWが終わろうとしている

 物流は止まっていないのですけれどもね。働き方改革もどうなんでしょう。休む権利は当然ありますし、自分の生活を充実させて欲しいと願いますが、止めてはいけないものって結局あって、それに対するアンチテーゼが何もないってどうなんだろうって思います。経済の血流、止められないじゃないですか。

 と、愚痴をこぼしてみたところで。このGWにアホほど本を読んでてふと思い出したことがあるのです。幸せだとか不幸せとか裏切っただの裏切られただの、結構多いんですよね。何くそ甘えたこと言ってんだろうって思うわけなんですよ。幸せかどうかって絶対的なものがなくて、自分でどう思うかってだけじゃないですか。恵まれていても不幸と思えば不幸だし、困難な環境でも幸せと思えば幸せで。裏切るとかどうとかも、もうめんどくさい。価値観と選択肢の違いがあっただけが殆どじゃないかなって思うんです。騙そうとしてきたものは別ですよ。
 わたしは20歳くらいの頃にそういうのは自分次第って考えるようになっていましたから、「自分はやれ恵まれていない」だの「あいつは俺を裏切った」だの、もう何言ってるのかわからないレベルで突き放していたもので、結果大体の事象の原因は自分にあると思えるようになったりしたんですよ。くっそ大変な時に「こういう経験が出来る人生って貴重だよね」って思える余裕といいますか、「これを乗り越えるとレベルが上がるかも」みたいな成長の機会と捉えることが出来たといいますか。
 大体にして、物事が上手く行かないことを人のせいにする人が多すぎると思うんです。ちょっと話は外れますが、先日同い年で400人くらい従業員を抱えている会社の社長の息子と飲んでたんですけど、「親父が親父が」「おなつは親父の事を知らないから」「やってるけど無理なんだ」と散々喚いていたわけなんですが、わたしからすると「あぁ、こうやって全て人のせいにしてきたんだな」としか思わないわけですね。「じゃぁ1円で秘密保持契約含めて顧問やるよ。味方したる」って言うと「お金はかみさんが握っていて1円も払えない」と言うのです。でもお会計は割り勘なんです。結局何も決められないわけじゃないですか。わたしが1円会計多く払うからそれで、ということもできないそうです。もう何もできないんじゃんって思ったりするんですよね。時間返せって思うわけです。
 そう、現状をどうやって受け止めるかによって、人生の色って変わってくるんですよ。自分で選んだからこそ肚に落ちるし納得が行く。それが出来ないからフラストレーションが溜まって自分のコントロールも効かなくなる。それが続くと、諦めちゃったりして「どうせ自分なんて」みたいに自己肯定感や重要感を無くして負のスパイラルにはまっていく。
 今は出来なくてフラストレーションが溜まるって時、「なにくそ」と思うも良し、「自分が正しかったと目にもの見せてやる」も良い。全て自分の思い通りなんて行くわけないことも理解した上で、それを糧に出来るかどうかがすごく重要。ただ、それを人のせいにしたり腐ったりしてもきっと何も産み出さない。
 なんかいきなりセミナー目線になっていますけど。
 ま、本を読んでて「そんな動機で…?」とか「え、ちっさ」って感じることが非常に多くてですね。なんかもし、「違うよ、自分次第だよ」って言ってあげることができたらもっと世の中犯罪減るのかなって思って。こんな記事を書いてみたわけです。

 令和になり、みんな浮足立っていますし、わたしもいち国民として「日本国に生まれて良かった」とひとしきり噛み締めましたけど、雨の中コンビニの入り口に傘を入れて買い物を済ますとわたしの傘盗まれていたんですよね。基本、日本国民って素晴らしい人種だと思っていますが、中にはそうでもない人がいるということだけは確かと心に秘め、そういう悪意のある人間はさておき、大概の事柄をポジティブに捉えて生きていきましょう。っていうお話。でした。

おなつ。