これは反面教師になるのかなって思うのだけど、「無理かも」っていうのを「なにくそ」にも変えず、「自分が正しかったと目にもの見せてやる」という気概も無く、なんとなくブログから遠ざかる、そしてそこに使っていた時間を別な事に使うことで逃げたんだなってこと。それによって、ブログ開始当初大事にしていたことを忘れ、スキルも鈍り今に至った結果っていうことなんだなって感じます。実際「ブログ書く暇あったら仕事しなきゃ」っていう時期もありましたがね。言い訳ですが。
ま、そんなこんなではありますけれども。ブログを始めた2013年から読み返してみるとわたしがいかに文章が好きか、会社が好きかって伝わりました。「つらつらと」なんてタイトルも、これはきっと「何を書くとか決めてないけど書こう」っていうようなもんで着けたタイトルなんだったと思いますしね。日々の細かい仕事の中で唯一のカタルシスだったのだと思います。
こうして、長期連休(会社に行かずとも仕事はしております…)であるからこそ、こうやって落ち着いて記事を書けるようになってちょっと楽しいのですが、なんていうかな、わたしとしてはこういう所に書いている気持ちが社員に伝わってくれることが何よりの望みかもしれません。それはわたしから伝えたいことが本当にたくさんあって、それを理解して貰えれば色んな課題がクリアできると思っているからです。
直接話をすれば早いんですけど。
2019年、年度としては平成31年度ですが、6周目を回るこのブログは、当初の通り社内報であれるようにもうちょっと頑張ります。
経て。ここまではちょっと感慨深くもあり、我ながら自画自賛があったという報告なのだけれども。
今、間違いなく時代の変わり目が来ていると考えているんです。前回の記事にあったような働き方改革もそうですし、この人材不足の深刻化や燃料代の高騰なんかもそうですが。今、潮目として「最高のバブル」と捉えている会社も少なくないと思います。きちんとそれに乗れるか否かっていうのが実力または底力の違いっていう所に出て来ていると思うんですよね。物の価値感が変わる「パラダイムシフト」とはまた違う、それを起こすための強制的な力が働いて、しなければならないという環境を強いられるようになりました。なるほど、これが改革かって思います。
通常、企業では時流に合わせて少しずつ変化をしていれば改革など不要なはずなのですが、今回は強制的な改革が行われたということです。改革というのは必ず痛みを伴うものだと解釈しております。つまり、政府筋ではこの動きが乱暴であるという自覚があるはずだと思うのです。でもやった。それは何故か。今、それがわからないから葛藤しているのですが…
この先2036年問題や、2046年起こるとされるシンギュラリティを待たずして起こる改革。その前に正すべき問題が数多にあるはずなのに、それを度外視した政策であるとわたしは思う。
物流は物的流通であり、災害時などには最重要な機能を果たすべきインフラなのにも関わらず、わたしたちの運輸業界がなぜ不遇(でない所もありますが)なのかも推して計ることもせずにこうしたのか。わたしが言っていることは自社のことではありません。業界として「人材不足で運べない」とか、「長距離輸送に対する緩和措置が無い」という業界全体のことに対する意見であります。まぁ言ってもしょうがないんだけど。
いつか人にとって代わって自動運転が。って思っているかもしれないけど、うちは運ぶだけが仕事ではないんです。運ぶ価値を作って、それで社員を養っていかなければならない、そこまでが仕事なのに。すごく安く見られている気がします。
まぁいいや。これって誰に相談すればいいんだろ。とりあえず行きつけの歯医者さんに聞いてみよう。
おなつ。
とても興味深く読ませて頂きました。貴重な読み物を公開して頂いて、ありがとうございます。
返信削除コメントありがとうございます。今後も頑張ってつらつら書いて参ります。
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