3期通ったわたしの話も出たそうですが、
いざ通わなくなってしまうと、それはそれで寂しいものだな。
と、ふつふつと感じます。
しかしながら、
3年通ったからこその、自分に対しての地盤の厚みと
得た知識からの柔軟性というものも同時に感じます。
かと言って、過信するものなど、なにもないのですが。
誰かに何かを学ぶとき、「学ぶ」という言葉について考えます。
これは「真似ぶ」だ。
という事を。
知識単体に対しては、誰かの踏襲した結果や統計の傾向等の
集大成が○○学とかになったりしているだけで、
それを何年行こうが深く理解しようが、結局誰かの通ってきた道のりの
ほんの一片を知ったに過ぎない。という自覚を持つこと。
3年行った。
それでようやく、スタートラインの手前まで来た。
そんな気持ちです。
経営塾に行くすべての人達がスタートラインまで来ていないとは思っていません。
既にスタートを切っている人だっています。
あとは得た知識や経験から、いかに勝てる会社を作るか。
ですからね。
どう真似て、そこからどうやって独自性を出したり、
もしくは会社のカラーに染めて行くかですね。
わたしも、もうそろそろスタートを切らないといけないと思っています。
その為に常々考える事は、
わたしの考えが100%合っているとは思わない事と
とにかく、考えをまとめる為の時間と努力は惜しまないこと。
固定観念を捨てながら自分の新しい一面で、物事を捉えるように。
失敗は成功のもと、といいますか、都合よく成功なんてしない。
ですかね。
学んで学んで、真似て真似て…
いつしか自分のオリジナルの法則や理論が作られるでしょう。
それまでは、何度も何度も失敗するかもしれません。
痛い思いもたくさんするだろうなぁ、と、思っています。
そんな体験が、学んで真似た上での経験ならば
フル装備で未開のジャングルへと飛び込んで出来た傷だと思えばいいのです。
もう一度突っ込めば、新しい世界が開ける。
そう思える勇気の根拠の一部に、知識というものがあるだけです。
極々、ちっぽけなものかもしれません。
ま、そんな事を思い返しながら
ライバルがどんどん世に出ていくのだなぁなんて、
感慨深く思ってしまうあたり悠長な面もあるのかもしれませんが、
学ぶことがあり、学べる環境にあり、ライバルが居て、実践する場がある。
ということは、自分を成長させる絶好の機会だと思います。
取り留めも無くなってしまいましたが、
老化よりも、成長に重点を置くことも人生のひとつの楽しみです。
その成長するきっかけを、なんとかみんなが作ることができるといいなぁ。
とか、こんな時間に思った次第であります。
おなつ。
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