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2021年3月4日木曜日

木村 裕治

  わたしの良きビジネスパートナーであった、ダイキサウンド創業者であり上場させた経営者、木村 裕治さんが亡くなりました。一時は夏島運輸の顧問も依頼しており、わたしとは延べ3年間一緒に仕事のことを考え、話し、実行して参りました。会社のブログという公の場で言う話かわかりませんが、あまりに突然且つあまりに悔しい最期だったもので、記録も兼ねて記載いたします。そして、慎んでご冥福をお祈り申し上げます。


 30代で事業を立ち上げ、5年で上場させるという本気の仕事人間で、でも仕事に遊び心とオリジナリティを忘れない、とてもお茶目で大きな人でした。毎週会社にお越しになり、少しずつ仕事を積み、少しずつ関わる人が増え、あと少しで積みあがる…という、本当にあと一歩という所でお亡くなりになりました。六本木ヒルズに住んでいたというのに、本社近所の小さい町中華のサンマーメンがぎりぎり好きで、月に2~3度は行きました。たまに新橋で大手企業の役員の方と引き合わせて頂き、新しい刺激や学びを得て尚「おなつの成長のため」と言い、色々な場所に連れて行って頂いたり、時にはご両親へのお土産にと、綾瀬の宝である大久保商店の豚肉を買って頂いたりと、本当に親身になってお世話をして下さりました。わたしとは住んでいる世界も見ている世界も違ったので、時に宇宙人のように思うこともありましたが、類稀な発想力と行動力にはとてつもなく魅力があり、逆にわたしがそれを文章にしたり噛み砕いたり時に間違えたりして、それはそれとて凸凹で面白いコンビだったと思います。我ながら。

 わたし自身も企業役員として未来を見据え、現在との隙間を埋めるように生きようと心掛けていますが、木村さんほどの深謀遠慮は持ち合わせていませんでした。それでも、ぎりぎりでもビジネスパートナーにわたしを選んでくれたのは奇跡にも近い出来事でした。わたしたちが成そうとしていたことは、木村さんだけでも出来たことなのです。それでも何もかもわたしと一緒に決めて参りました。なのに、木村さんがいなくなると出来なくなることがあまりにも多くあり、改めて自分の力のなさを思い知るわけです。


 丁度、だったのです。

もう少しで仕上がる。

けれども一人ではできない。

木村さんは体が弱いからなぁ。

上手く行ったら社員も喜ぶかな。

木村さんも「利益が出たらハワイに行こうよ」

 と言ってた矢先なんですよ。いや、仕事云々の途中でという悔しさではなく、不倶戴天の対義語って何だろう…共に天を戴くと約束した人がいなくなってしまった悔しさって、なんでこんなに辛いんでしょう。本当にあと一歩。あと一歩だったのに。


兄貴

K(GUN DOG、Pay money To my Pain)

makoさん(Human Lost)

木村 裕治(ダイキサウンド創業者)

 と、わたしの現在過去未来を作り、担い、助け合うべき人たちがいなくなってしまう。しかもみんな、さぁこれからという時に。

 けれども、だからこそわたしも頑張らなければと思う…のですが。いつも「わたしが死んだら」と考えて、彼らほどのインパクトは無いけれども、いつかわたしがいなくなっても、夏島運輸や他の企業、友人が困らないようにしなければという気持ちが強くなります。同時に、どこかで彼らの分もやらなければ、という気持ちも生まれます。きっと、こうして人は強くなるのかもしれません。

 みんな、何かをやり残して先に逝ってしまいました。わたしは彼らの遺志を全て継ぐべきとは言えませんが、少なくとも自分自身やり残さないように生きたいと思います。自分が死した時に、ちゃんと顔を合わせられるようにしたいので。


おなつ。

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